2013年12月15日日曜日

河村瑞賢と三重県の豪商ゆかりの地 「日本橋」

河村瑞賢 かわむら ずいけん 1617~1699

江戸時代初期の豪商

治山治水 航路開拓などで多くの功績を残す








伊勢国 度会郡東宮村(現 度会郡南伊勢町)出身

貧農の家に生まれるが幼少より知才に秀で

13歳にして江戸に出る

車力から身を起こし 人夫頭になりその才能が認められる

土木請負業や材木商を始め財をなす

明暦の大火で江戸復興に木材が必要と着目

信州木曽の材木を買い占め 江戸に運び

土木の知識と 材木の販売で更なる繁栄を見た



航路開拓


翌年には西廻り航路の開拓と尽力した





治水工事


船の安全航行には立ち寄湊の整備が重要と考え

浚渫や港湾整備にも力を注ぐ

江戸幕府の若年寄 稲葉正休の淀川視察のあと

河村瑞賢が河川改修工事の指揮をとった




江戸時代を代表する政商 豪商で

全国各地で

航路開拓 鉱山開発 灌漑 治水などにも能力を発揮したと

新井白石の「奥羽開運記」「畿内治河記」に記されている

晩年は霊岸島に住まいし 松尾芭蕉とも交流があったという



江戸日本橋界隈は 三重出身の商人が居を構え

大きく発展し後の 三井 三越 小津などの豪商を生む

この三重県縁の地に


オープンし 三重県の情報発信地となった










2013年11月13日水曜日

江戸川乱歩 推理 探偵小説の草分け


江戸川乱歩




江戸川乱歩 えどがわ らんぽ(1894~1965)

本名 平井 太郎

三重県那賀郡名張町(現 名張市)に生まれる

早稲田大学卒業後 多くの職歴を重ね「新青年」に「二銭銅貨」を掲載しデビュー

推理探偵小説を多く世に送り出す

江戸川乱歩の名前は アメリカの文豪 エドガー・アラン・ポーをもじったもの

世に多数の探偵小説を送り出し 名探偵明智小五郎 少年探偵団が活躍する

「怪人二十面相」シリーズは特に有名

作品は多くの映画 漫画などでも映像化されている



推理小説 探偵小説の草分けとして プロデューサーの活動手腕もあり

多くの作家を世に送り出した

私財を基金に「江戸川乱歩賞」を創設し 推理小説家の登竜門を作る

江戸川乱歩像とともに副賞1000万円の賞金は 破格の高額

多くの有名作家を世に送り出す事になった



初代 推理作家協会理事長

1965年 勲三等瑞宝章を受賞




2013年11月10日日曜日

穐のいろ 神宮工作所  志摩 コスモス畑

神宮遷御の儀を終え 連日参拝客が訪れている

神社本庁傘下に47都道府県に置かれた神社庁がある

北は北海道から南の沖縄県まで順次「神宮参拝団」の奉祝参拝がおこなわれている


内宮外宮は社殿も新しくなり 全国から参拝客が絶えない

神宮から志摩方面への道路県道32号線 通称伊勢道路入口付近


敷地内には「イチョウ並木」があり 毎年写真愛好家が多く訪れる




11月中旬から12月中旬にかけ イチョウが色づき 見頃となる

いちょうなみき




イチョウの葉が舞い散る

黄色いじゅうたん

見頃は12月中旬までか






志摩市横山駅付近

国道167号線 近鉄線と並行する



近鉄志摩線 志摩横山駅から穴川駅にむかう直線道路

約800メートルの直線道路沿いに

この花畑はある







水田を利用し 春には代かきされ 肥料となる





この花畑も写真撮影の人気スポット


2013年9月30日月曜日

伊勢神宮外宮内宮一般参拝停止のお知らせ





神宮司庁は9月25日 

”遷御の儀にともない 一般参拝の一時停止を発表した


遷御当日は下記の通り一般参拝も停止となります。


 皇大神宮
10月2日 午後1時から翌3日午前5時



 豊受大神宮
10月5日 午後1時から翌6日午前5時



 この間は域内への参入もできませんので、ご理解いただきますようお願い申し上げます。



 新宮へのご参拝は、皇大神宮が10月3日午前5時から、豊受大神宮は10月6日午前5時からとなります。



※その他、遷宮諸祭並びに遷御の準備等により随時規制する場合がありますのでご了承下さい。



※特別参拝の参宮章では遷御の奉拝はできません。


あわせて伊勢市内及び外宮内宮の交通制限 規制があります

充分ご注意ください”

以上式年遷宮HPより引用いたしました

ご周知くださいませ



10月5日以降










2013年9月23日月曜日

御塩殿祭 

平成25年9月21日

伊勢市二見町の「御塩殿神社」で御塩焼固が始まった




例年だと10月5日に行われるが 本年は「神宮式年遷宮」の遷御の儀が

10月2日と5日に行われるため 2週間早めたという



神宮奉仕員の喜多井 紀忠さんが三角錐の土器に粗塩を詰め焼き固める

三角錐の土器









土器に詰められた塩はかまどに並べられ 焼き固められる

10月25日までに百個をつくり上げるという

これに合わせ 全国の製塩事業関係者が 御塩殿神社に参拝し

御塩殿祭が執り行われた




2013年9月2日月曜日

朔日餅(ついたちもち)

朔日餅


昭和53年 1978年から販売開始

赤福が毎月1日(朔日)に本店で商う

その月にちなんだ餅菓子


伊勢では毎月朔日に神宮にお参りする習わしがある

新しい月を迎えられた感謝と 

またひと月 無事に過ごせますようにとの願いをこめて行われている

元日を除く毎月朔日 赤福本店で販売されている

午前3時30分から「整理券配布」

午前5時から整理券順に販売開始となる





9月は 「萩の餅」

龝(あき)の萩の花にちなむ

おなじ お餅でも春は「牡丹ぼたん)」の花にちなみ 牡丹餅=ぼたもち となる

日本人の季節を愛でる風情に感服



朔日餅の包装紙は版画家 徳力富吉郎氏のデザインによるもので

毎月図案が変わるのも楽しい

特に人気のある朔日餅の販売月は 2~3日前から順番待ちの行列ができる







2013年8月18日日曜日

五ヶ所街道 県道12号 伊勢南勢線

内宮前駐車場 観光バス専用駐車場奥にこの道はある

志摩と伊勢を結ぶ物資の輸送路として重要だったが

志摩磯部町と伊勢を結ぶ「伊勢道路」が昭和40年に開通してからは廃れていった

三重県道12号線



幅員は2メートル余で 自動車同士の対向通過は不能である

明治23年 伊勢から南勢五ヶ所への道路として開通した

宇治神社

宇治地区に点在していた 産土神を合祀 







五十鈴川を左に見ながら進む


内宮手水場を対岸にみる

風日祈宮うらてあたりに 僧侶遥拝所がある

昔 僧侶は神宮神域内に立ち入ることはできなかった




道幅は狭く 神宮林

その中を縫うように五ヶ所街道が続く

途中 「高麗広 こうらいびろ」という集落があり 

現在70人ほどの住民の方がいるという

変わった地名だがその由来については諸説あるので割愛する



江戸時代 神宮への「お蔭参り」や「ええじゃないか」で

当時の人口の6人に一人が伊勢参りをしたという

その燃料確保のためこの辺りの山林が伐り出され ハゲ山状態になったという

神宮造営御用材の森でもあったため その後植林され樹齢は200年ほどという


曲がりくねり 冷や汗をかき 対向車が来ませんようと願いつつ車をすすめる

ようやく 少し広い道幅となり 眼前に海が見えてきた

「剣峠」である



熊野灘がみえる


ひやひや ドキドキから開放され ほっと出来る場所です

剣峠由来の碑文


もう 南伊勢町五ヶ所の街に到着した

この街は「五ケ所湾小唄」作成のため童謡界の三大詩人といわれる

野口雨情 が滞在し15基の詩碑が建てられている 



ここには「乙女椿」の詩碑がある


五ヶ所は剣道の祖 愛州移香斎久忠の居城 愛洲の里や 記念館がある



2013年7月23日火曜日

おはらい町今昔 Oharai street

おはらい町(お祓いまち)

宇治橋鳥居前から宇治浦田町 伊勢市営有料駐車場に続く約800メートルの道



御師(おんし)

平安時代から御祈祷師(おんきとうし) として

特定の寺社参詣を世話する僧や神職のことをさし 御祈祷師の略

全国から訪れる参詣者の 参拝 宿の世話をした専門職 現在の総合旅行業者

おはらい町はこの御師達が軒を連ね お祓いや神楽で参拝者をもてなしたという通りである

特に伊勢は伊勢講を全国各地に結成させ 神宮の暦やお札を配布して回ったという

内宮 外宮に御師街が存在した



宇治橋渡始式




写真は明治時代に行われた「渡始式」のようす

よく見ると 五十鈴川の中にもたくさんの見物人が見受けられます


こちらは2009年の渡始式の模様です

饗土橋姫神社で神事が行われた後 渡始式が挙行されました



おはらい町中程 「おかげ横丁」入口付近にある建物

旧「水月樓 すし久」


現在は


赤福傘下の濱田興業 伊勢福が買収

改修し「手こね寿司 すし久」として蘇った


赤福本店前の橋を渡り五十鈴川から見れば




昔の名残を残す



なお 写真についてはブログ「いにしえの伊勢」の執筆者 jugemuさんのご厚意を得ており感謝申し上げます

2013年7月15日月曜日

神宮式年遷宮と出雲大社   Sjikinensengu & Izumo oyashiro

神宮  じんぐう

天照皇大神(内宮)と豊受大御神(外宮)を正宮とし別宮 摂社 末社 所管社を含む

百二十五社の総称 近代社格では超越 社格対象外

正式名は 神宮 所在地が伊勢であるため あえて「伊勢神宮」と称す

宗教法人法による定義

宗教法人名 「宗教法人神宮」


垂仁天皇二十六年   (内宮) 

雄略天皇二十二年   (外宮)の創建とされ

倭姫命がその大任を担った


式年遷宮


持統天皇4年 690年に第1回遷宮が行われ 戦国時代120年間の中断はあるものの

1300年間行われてきた神宮最大の神事である

2013年 平成25年10月 第62回式年遷宮 「遷御の儀」が執り行われる

神道に言う「常若の思想」が貫かれ 

20年毎に御正殿はじめ関連建造物並びに神宝 装束に至るまで

すべてあらためられます




明治天皇御製

”いにしへの姿のままにあらためぬ 神のやしろぞたふとかりける”



式年遷宮の意義は建築のみならず美術 工芸の伝承 後継育成にあります

「遷御の儀」が終わると次の式年遷宮に向けて新たな20年が始まるのです





出雲大社 いずもおおやしろ




島根県出雲市にある 旧官幣大社(現 別表神社)

宗教法人出雲大社教 宗祠

斉明天皇5年 659年 大国主命を祭神とする大社

国譲り神話からこの地に神殿を建てさせ現在に至るとあります

神仏習合により敷地内には多くの仏教建築物もあったようで

主祭神もたびたび変遷し また元の大国主の命に戻ったことは知られていません


出雲大社は別表神社に位置づけられ 宮司の世襲が認められております

言い換えれば宮司一族の「所有物」としての一面が伺えます

「出雲大社教」の千家氏   

「出雲教」の北島氏が

ともに大国主の命を主祭神とした宗教法人教団を持っています


明治時代神道事務局の祭神を巡り伊勢派と出雲派の千家の大論争が勃発し

天皇の勅裁を仰いで決着 伊勢派が勝利した

千家は神道事務局を脱退し 「出雲大社教」を設立し 出雲大社と一本化した



遷宮修造


おおよそ60年を経て 修造されてきたようです

神宮のように「常若」ではなく 痛みの激しい部分だけ改修し

その間 主祭神は仮神殿に遷宮されているとのことです

何年ごとに「遷宮」の決まりはないとのことです



神宮と出雲大社 遷宮で大きく報じられていますが 

その根底の精神には大きな隔たりがあるようにも感じます


 















2013年7月11日木曜日

伊藤里き    Ito Riki

伊東 里き(いとう りき)

1865~1950年

三重県英虞郡片田村(現 志摩市志摩町片田)

アメリカ合衆国に渡り 日本人初の助産師資格を取得した女性


渡米後 多くの試練をへて 生活を安定させる

故郷 志摩の片田への送金額が莫大な額になり 「アメリカには金のなる木」がある と

片田村では渡米ブームが起き 里きを頼り多くの村民がアメリカに渡った

片田村はアメリカ村」ともいわれ 

当時の村民4000人のうち 232人が渡米していたという

その送金額は片田村年間予算の3倍にも達したという


明治の女性のたくましさを表し 「片田の英雄」として現在も慕われている

志摩市志摩町和具には「お里きの松」が今もある















2013年7月6日土曜日

上野秀三郎博士と忠犬ハチ公  Dr. Hidesaburou Ueno





上野 英三郎

  1871~1925

日本の農業土木 農業工学の創始者

三重県久居市(現 津市久居町)出身

東京帝国大学 農科大学農学科卒業 現在の農地環境工学の基礎を開く
 

明治32年 政府の耕地整理法を受け全国の耕地整理事業に尽力

当時の農商務省の委託を受け 農業土木技術員養成官の任務につき

その後20年間に渡って3,000人を越える技術者の育成に努めた

博士から指導を受けた技術者は大正12年 関東大震災の復興に重要な役割を果たした



大正14年 大学での講義中に脳溢血で倒れ他界した

愛犬 「ハチ= Hachi」は博士の急死を知らず 長期に渡り渋谷駅で待ち続けた

博士の死後7年ほどたち世間の話題を集めた 上野博士の死後 9年を経て

忠犬ハチ公の銅像が建立された


2013年7月5日金曜日

本居宣長  国文学者 医師  Motoori Norinaga



本居宣長

1730~1801年 

”18世紀最大の日本古典研究家。
伊勢国松坂(三重県松阪市)の人。
木綿商の家に生まれるが、医者となる。
医業の傍ら『源氏物語』などことばや日本古典を講義し、
また現存する日本最古の歴史書『古事記』を研究し、
35年をかけて『古事記伝』44巻を執筆する”
本居宣長記念館紹介文より




国文学研究に興味を示し 賀茂真淵らと親交を深め 
当時解読不能とされていた「古事記」の解読に成功
古事記伝」をあらわした

また「鈴」の愛好家としても知られ 自宅を「鈴屋 すずのや」と名付ける






2013年7月3日水曜日

アコヤガイ(真珠貝)の貝柱 Adductor muscle of the pearl oyster (pearl)







三重県志摩地方の冬のグルメ
的矢かきと並び 冬の極うま

真珠貝(アコヤ貝)の貝柱です
11月から2月にかけて 
真珠の口開け作業が行われる

アコヤ貝から真珠を取り出した貝柱を食す
眞珠生産量の減少とともに貴重品になり 値段も上昇を続ける
高級珍味になりつつある

形は勾玉状で小粒
ホタテ 小柱などより味は濃厚
志摩地方や 真珠養殖をしている愛媛県 長崎県などが恩恵を浴す
最近 冷凍品も出回り始めた
三重県 志摩地域のスーパー 鮮魚店で販売

調理法
粗塩を振り 表面のヌメリを擦り取り 水洗いをする

炊き込みご飯 バター焼き しょうが醤油煮 刺身 カラシ酢味噌和え
天ぷら かき揚げ フライ 干物 など

眞珠漬は高級珍味

2013年7月1日月曜日

伊藤 小破   女流日本画家  Mrs.Shouha Ito

伊藤 小破


本名 佐登 sato


1877~1968


宇治土公 貞公 Sadakimi Ujitoko

の長女として生まれる

明治31年 京都に出て画家を志す

森川曽文 谷口香嶠らに師事 谷口より[小破」の号を受く

明治38年に同門の伊藤鷺城と結婚 三人の娘を生む

大正9年 文展で三等賞を受賞 

上村松園 Shouen Uemuraに次ぐ作家として注目を浴びる

日常風俗から歴史 物語の女性を描く画家として名高い

女性ならでは 小破ならではの視点で描かれた絵画に引き込まれる

伊勢市宇治の 猿田彦神社近くに











2013年6月29日土曜日

喜びも悲しみも幾歳月 安乗埼灯台と大王崎灯台  Anori&Daiou Lighthouse

2013年6月25日付け

文化庁は6月25日 志摩市阿児町安乗にある安乗埼灯台






             
             志摩市大王町波切の大王崎灯台


              登録有形文化財に指定した






特に安乗埼灯台は灯台守夫婦の戦前から戦後までの姿を描いた映画

喜びも悲しみも幾歳月」の舞台の一つになり 志摩中が大騒ぎになった

幼い頃 鵜方の映画館で家族とともに見た記憶がある


Youtube



志摩市民として誇れるものがまた増えた

2013年6月27日木曜日

絲印煎餅 (いといんせんべい) 播田屋   Itoinsenbei







絲印
室町時代以降中国との生糸貿易の際生糸につけられた銅製の印鑑
交易の証に重さを確かめ、その受領印として捺印し取引の証とした
 
そのとき用いられた印影をせんべいの上に焼印したお菓子
明治38年 天皇の伊勢神宮参拝に際し創作 献上





卵 砂糖 小麦のみで作られたたいへん軽い口当たりで
甘さもほんのり 何枚でも食べてしまう 
一枚は10円玉ほどの大きさ
たいへん日持ちが良く
東京 大阪 名古屋の有名百貨店でも販売されている



播田屋本店
伊勢市河崎2-13-5
TEL 0596-28-2207
FAX 0596-27-0178

2013年6月25日火曜日

大黒屋光太夫 ロシア漂流記 Daikokuya Koudayu












大黒屋 光太夫(1751-1828)

江戸時代後期の廻船の船頭
伊勢國 白子(現 鈴鹿市)から江戸へ向かう途中 
嵐に遭いロシア アリューシャン列島の「アムチトカ島」に漂着
そこで4年間を過ごし その間に「ロシア語」を習得

毛皮の買い付けに来ていたロシア人とともに ロシア本土に渡る
日本への帰国を願いつつ ツテや協力者の支援を得ながら
皇帝エカチェリーナ2世に謁見が叶い
帰国を願い出る

エカチェリーナ2世の許可が下り
「漂流民返還」の名目で当時鎖国下の日本への帰国が叶った

漂流以来 実に9年半の歳月を要したという
17人の船員仲間のうち1人は漂流中に
11人はアムチトカ島漂着やロシア本土で死亡
残る5人の内2人は ロシア国内に残留
光太夫ほか2人が「根室」に到着 帰国できた

江戸に送られ「漂流民」として軟禁状態に置かれたらしい
帰国後は豊富な見聞を役立て 「蘭学」におおきな寄与をした


作家の 「井上 靖」により
「おろしや国酔夢譚」として発表され
1992年に 佐藤純彌監督で映画化された

主演 大黒屋光太夫に「緒形拳」
    庄蔵 - 西田敏行
    小市 - 川谷拓三ほか出演










三重県鈴鹿市

大黒屋光太夫記念館



ウィキペディア参照

2013年6月23日日曜日

「飯高駅」 温泉のある道の駅  Roadside station Iidaka 



 飯高駅







国道166号線 松阪市飯高にある道の駅と温泉施設
三重県と奈良県を結ぶ国道166号線飯高で入浴 食事 お買い物

平成5年4月
三重県初の「道の駅」としてスタート
当時の建設省の「道の駅構想の基本」として挙げられています
その後 温泉施設 レストラン 案内書事業を開始
平成17年には地元特産品販売所と体験施設をオープンしたとあります




温泉設備 (加温)
大浴場・薬草風呂・水風呂・サウナ・釜風呂・蒸し湯・寝湯・
水流風呂・露天風呂・かめ風呂・打たせ湯・マキ風呂

泉質
含二酸化炭素ナトリウム塩化物
炭酸水素塩冷鉱泉

特産品はお茶 そば 山菜 あゆ しいたけなど



写真左側は奈良県吉野方面への道路



国道沿いにあるので便利 観光客 登山 ハイキング などでにぎわう
昼食時間帯は食事の人も多いので混雑する
詳細については飯高駅ホームページをご覧頂きたい