2013年5月17日金曜日

倭姫命 伊勢神宮創祀の神 [美味し国]の秘密 Yamatohimenomikoto








皇大神宮 別宮倭姫宮 125社巡り

伊勢で仕事を終え帰路 倉田山に立ち寄った
この倉田山丘陵は伊勢の歴史 文化 芸術 学術の集合地帯でもあり 
神宮徴古館 神宮農業館 遷宮美術館 皇學館大學などが点在している
倉田山に「倭姫宮」があります

倭姫宮(やまとひめのみや)
第11代天皇垂仁天皇第4皇女で日本武尊の叔母とされております
天照大神の御杖代として 大和国から伊勢にご鎮座奉り 伊勢神宮創祀の神
倭姫命はアマテラスをお祀りする最良の地をもとめ 伊賀 近江 美濃 尾張を旅し
伊勢の国に入った ここでアマテラスから神託があり ここに鎮座すると仰せられ

是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國

(この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。
傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ)
                                   垂仁天皇25年3月丙申(10日)条
伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり
辺境ではあるが美しい国なのでこの国に鎮座しよう、ということである。 ”  以上Wikipediaより

このご神託のことばより 「うましくに伊勢志摩」 を名乗っております
五十鈴川上流の現在の地に神宮がお祀りされているのはこういう理由があるのです


三種の神器(みくさのかむだから)
八咫鏡(やたのかがみ)伊勢神宮内宮 ご神体
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)  皇居剣璽の間
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)  熱田神宮ご神体
天孫降臨の際天照大神から瓊瓊杵尊につかわされた三種の宝物
皇位継承の証とされてきた
八咫鏡の「咫=アタ」は円周を表す単位 0.8尺 八咫は直径2尺 46センチの円鏡という

宝鏡奉斎の神勅

吾が児(みこ)、此の宝鏡(たからのかがみ)を視まさむこと、
                          まさに吾(あれ)を視るがごとくすべし
ともに床(みゆか)を同じくし、殿(みあらか)を共ひとつにして
                           斎鏡(いはひのかがみ)と為すべし

という天照大御神のお言葉があり おおまかに言えば
「この鏡を私の魂だと思い 私に仕える気持ちで大切にすること 鏡と共に生活し
神の子孫であることに恥ない 気高い気持ちで政治に取り組んで欲しい 」
といえるでしょうか


鏡は
自分自身が映し出されます 神の御前にいずるとき 身なりをととのえ
穢れのない正しい姿ができているか うつし出してみよ」
あなたのその姿を見て くにたみ(國民)は あなたに信頼を寄せるのです

このことばを今の政治家達に贈りたいと思います


全国にある神社のご神体がほとんど「かがみ」である理由はここにあります
地元の氏神様で「神明神社」「天祖神社」といわれるお社は伊勢神宮直系
とされ神社本庁の調査では全国に4425社あるそうです
氏神様をお詣りすれば伊勢神宮にお詣りしたことになりますね

まつりごと(祭事)神を祀り祭祀を行うこと→古代は神政一致で神を祀ることすなわち
政治であり 統治者が神を祀る姿を見せることで一体感や人心を掌握したといわれる
祭事=政事(まつりごと) と同意でつかわれる





さて 倭姫宮は内宮と外宮を結ぶ中間点に位置し
倉田山というアカデミックな地区にあります
参拝への道は御幸道路に面した方と 神宮徴古館前にも通じております
自動車でお越しの場合は神宮徴古館などの駐車場が利用できます


参道を入ると木立も押し迫り 神域らしさにあふれます
しばらく玉砂利道をすすむと階段があり 昇った左に手水舎があります
               



ここで潔斎し 拝殿に向かいます
近くの幼稚園児でしょうか 保母さん達に先導され私より先に参拝を済ましていたようです
すれちがう園児 保母さんから「こんにちは~」のかわいい声のごあいさつ
おもわずほほえみ 清々しさに一層身の引き締まる感がありました
もちろん私も「こんにちは~」

            



内宮の別宮なので遷宮もおこなわれます

倭姫宮 拝殿



遷宮御敷地



宿衛社



徴古館側参拝路



神宮徴古館



御幸道路
「徴古館前」三重交通バス停付近
前方の瓦葺の門は「神宮文庫」入口
この奥に皇學館大学 高校 中学があります
皇學館大學と國學院大學で 神社本庁の神職の資格が取得できるため 全国の神社から
学生が集まってきます



倭姫命は神宮を伊勢の地に導かれ 祭祀 神職 神道の基礎を確立された方ですが
その功績を讚えるお社がないことに心を痛め
1912年 大正元年  帝国議会に神宮司廳と地元民が請願
1921年 大正10年 内宮別宮として創立認可
1923年 大正12年 鎮座祭とあり お社自体は新しい神社です
神宮125社