2013年5月29日水曜日

川喜田半泥子  かわきた はんでいし  三重偉人伝    Kawakita Handeishi


川喜田半泥子



川喜田半泥子(1878-1963)
本名 川喜田久太夫政令=かわきた きゅうだゆう まさのり
号 半泥子(禅の影響からか)

三重県の陶芸家 実業家 政治家
生家は寛永年間から江戸大伝馬町に出店する木綿太物問屋で豪商
父が亡くなり1歳で家督を相続16代当主となる 母は生家へ戻される
祖母 政により育てられ帝王学を学ぶ
現在の三重県立津高等学校卒業後「百五銀行」に入行
三重県人なら知らないものはない「百五銀行」の頭取を長く務めた


「百五銀行」は津の元藤堂藩士が創立したが商いに疎い武士の経営は
度々危機を招いた 川喜田家が経営に参画しこんにちを築いた
半泥子も長きにわたり頭取を務め 傍ら芸術にあそんだ
特に「茶の湯」を好みそれに関する作品は多い
「東の北大路魯山人 西の半泥子」と並び称されるがその人となりを知る人は少ない

頑固者の廬山人に比して半泥子は「慶世羅々々」と自由人



茶目っ気たっぷりで英語を漢字に置き換えることが好きだったらしく
「喊阿厳」
「大夢出門」
「愛夢倶楽通志友」
などと書いて 楽しんでいた節がある どう読むかはクイズにしておきましょう

芸術振興のため私財を投じ石水博物館を設立
また自宅のある千歳山には登り窯を作ったが のちに長谷山に移された
弟子の坪島土平に受け継がれている
坪島も師 半泥子への弟子入りから半泥子とのふれあいをこのホームページに記している

「陶芸は生涯シロウト」を貫き
生涯の作品は3万点にも及ぶと言われているが市販はせず
親しい人に与えていたというから 何処かの蔵でホコリをかぶっているかもしれません


〒514-0821 三重県津市垂水3032番地18

TEL 059-227-5677