2013年7月15日月曜日

神宮式年遷宮と出雲大社   Sjikinensengu & Izumo oyashiro

神宮  じんぐう

天照皇大神(内宮)と豊受大御神(外宮)を正宮とし別宮 摂社 末社 所管社を含む

百二十五社の総称 近代社格では超越 社格対象外

正式名は 神宮 所在地が伊勢であるため あえて「伊勢神宮」と称す

宗教法人法による定義

宗教法人名 「宗教法人神宮」


垂仁天皇二十六年   (内宮) 

雄略天皇二十二年   (外宮)の創建とされ

倭姫命がその大任を担った


式年遷宮


持統天皇4年 690年に第1回遷宮が行われ 戦国時代120年間の中断はあるものの

1300年間行われてきた神宮最大の神事である

2013年 平成25年10月 第62回式年遷宮 「遷御の儀」が執り行われる

神道に言う「常若の思想」が貫かれ 

20年毎に御正殿はじめ関連建造物並びに神宝 装束に至るまで

すべてあらためられます




明治天皇御製

”いにしへの姿のままにあらためぬ 神のやしろぞたふとかりける”



式年遷宮の意義は建築のみならず美術 工芸の伝承 後継育成にあります

「遷御の儀」が終わると次の式年遷宮に向けて新たな20年が始まるのです





出雲大社 いずもおおやしろ




島根県出雲市にある 旧官幣大社(現 別表神社)

宗教法人出雲大社教 宗祠

斉明天皇5年 659年 大国主命を祭神とする大社

国譲り神話からこの地に神殿を建てさせ現在に至るとあります

神仏習合により敷地内には多くの仏教建築物もあったようで

主祭神もたびたび変遷し また元の大国主の命に戻ったことは知られていません


出雲大社は別表神社に位置づけられ 宮司の世襲が認められております

言い換えれば宮司一族の「所有物」としての一面が伺えます

「出雲大社教」の千家氏   

「出雲教」の北島氏が

ともに大国主の命を主祭神とした宗教法人教団を持っています


明治時代神道事務局の祭神を巡り伊勢派と出雲派の千家の大論争が勃発し

天皇の勅裁を仰いで決着 伊勢派が勝利した

千家は神道事務局を脱退し 「出雲大社教」を設立し 出雲大社と一本化した



遷宮修造


おおよそ60年を経て 修造されてきたようです

神宮のように「常若」ではなく 痛みの激しい部分だけ改修し

その間 主祭神は仮神殿に遷宮されているとのことです

何年ごとに「遷宮」の決まりはないとのことです



神宮と出雲大社 遷宮で大きく報じられていますが 

その根底の精神には大きな隔たりがあるようにも感じます